GLAY(グレイ)といえば、1994年にメジャーデビューされたヴィジュアル系ロックバンドの草分けで、日本における歴代CDアルバム売り上げ枚数第3位の記録を持ち、単独アーティスト有料公演の動員数世界記録を持つスーパーバンドです。

そんなスーパーバンドでもメンバーの脱退はありました。
今回はGLAYの元メンバーの脱退理由と現在を調査していきたいと思います。






GLAYを脱退したメンバーまとめ
SHINGO
SHINGOさんは、1990年から1992年9月まで在籍されていました。
GLAYのメンバーとは函館時代に知り合い、友人でした。上京後にベースとして加入されます。しかしドラムが不在時にはHISASHIさんがベースを担当し、SHINGOさんがドラムを担当されていました。
音楽性の違いで脱退という事になっていますが、真相はSHINGOさんに彼女が出来バンドの練習を休むようになり、真意を聞きに行ったメンバーに対して「バンドより彼女を取りたい」と話し脱退されたそうです。
ISO
ISOさんは、1992年にHISASHIさんのバイト先で誘われ、高校生ながらドラムとして加入されますが、2・3回のライブをこなすと脱退されます。ここからは推測なのですが、この頃のGLAYは暗黒時代と言われ、ライブをしてもほとんどホールが埋まることはなかったようです。その状態に愛想をつかしたのだと思います。
AKIRA

本名 : 上島明 (うえしま あきら)
出身地 : 東京都
血液型 : B型
担当 : ドラム
AKIRAさんは、1992年5月にGLAYに加入されています。メジャーデビュー前のシングル「真夏の扉」や「Life ~遠い空の下で~」とアルバム「灰とダイヤモンド」には参加されています。
本人の著書「Beat of GLAY」では、メジャーデビューの際にレコード会社から「みんなやる気がなかったら、やらなくてもいいんだよ。うちはGLAYとしては、TERUくんのボーカルと、TAKUROくんの曲があればいいんだから。この2つさえあればGLAYとして、どういう形でもウチからデビューさせられるからね」と言われたことに加え、アルバムのレコーディングの際に大遅刻をしてしまい。脱退と言う形になったそうです。
脱退後に暴露本的に「Beat of GLAY」を出版されていますので、この顛末がただちに真実とするのは危険な感じがします。

AKIRAさんは、脱退後ヴィジュアル系ロックバンド・Kill=slayd(キル・スレイド)に加入され時期は分かりませんが脱退されています。その後は音楽業界から身を引いていた時期もあるようですが、現在は音楽事務所に所属し、音楽活動とプロデュース業を行っているそうです。
NOBUMASA
本名 : 大庭伸公 (おおば のぶまさ)
出身地 : 大阪府
担当 : ドラム
NOBUMASAさんは、当初はサポートメンバーとして1994年に加入され正式メンバーとなりますが、これも本人の著書「GLAY‐夜明けDaybreak」によればレコード会社の意向で脱退をさせられたそうです。そしてTAKUROさんはNOBUMASAさんが脱退を決める前に新しいドラムを決めていたとも書かれています。真実かどうかは別として何だか怖い話ですね。

現在はAKIRAさんと同じ事務所に所属し、音楽活動を行っているそうです。
GLAY脱退メンバーの死亡説は本当?
ネットにて「GLAYメンバー」と検索すると関連ワードとして「死亡」が出てきます。現在のメンバーが健在なのは明らかですので、脱退したメンバーが死亡したのかと思い、調べてみましたが、そのような事実はありませんでした。
あくまで推測ですが、脱退したメンバーが余りにも唐突に脱退したのでファンが死亡説を信じ検索したのかもしれません。
まとめ
今回はGLAYの元メンバーの脱退理由と現在を調査しました。
脱退したメンバーの経緯を調べていると、あくまで脱退した側の見方ですが芸能界のドロドロしたものを見せつけられました。プロですから売れなければ意味は無いのですが、あまりにレコード会社と言うのは人でなしと言う感が拭えません。
今回もお読み頂きありがとうございました。