2020年元旦に「再生」と称して再始動した東京事変のボーカル・ギターの椎名林檎さんと、ベースの亀田誠治さんの関係について調べました。

椎名林檎さんと亀田誠治さんの出会いや、師匠と弟子の関係について、また、東京事変ベースのすごさなどご紹介します。









椎名林檎と亀田誠治の出会いは?
この後13時から【FM KAMEDA 亀田誠治と椎名林檎のスペシャル対談!】本日から4日間連続O.A.です。
6/9(月)~13(木)毎日13時スタート#jwave #radiko #BeatPlanet pic.twitter.com/RTlq7KYPkI— 亀の恩返し 公式アカウント (@kameon_official) June 9, 2014
バンド・東京事変は、2003年にバックバンドとして結成。2004年に椎名林檎さんが加入し活動が始まりました。メンバーは、椎名林檎さんが探し当てたとされていますが、ベースの亀田誠治さんとは、東京事変で出会う前からの付き合いでした。
2人は、椎名林檎さんがソロデビューする1年前に出会っています。椎名林檎さんは、当時のレコード会社東芝EMIからデビューする際、実績のある外部ディレクターに楽曲等任せたのですが、椎名林檎さんの個性を生かせなかったため、レコード会社の人が、当時から「いいよいいよ」と仕事を受け入れてくれる亀田誠治さんに、椎名林檎さんを見て貰うよう頼んだそうです。
今まで見たことも聴いたこともないような、歌詞やメロディを書く女の子がいる。誰も手に負えなくなっているので、これに向き合ってくれるサウンドプロデューサーは、人間的に見ても亀ちゃんぐらいしか持たないだろう
亀田誠治さん曰く、音楽に対して、ジャンルレス&ボーダーレス(ジャズも聴くし、クラッシックもポップスも何でも)な2人が出会い、すぐに意気投合したそうです。当時の椎名林檎さんは17歳、亀田誠治さんは31歳の時です。

関係は師匠と弟子?
出会った2人は、デビューに向けて1年間、一緒にデモテープを作ります。出来上がった作品に対し、レコード会社の人は、このままでは売れないと否定的でした。
椎名林檎さんと亀田誠治さんが意気投合したもう一つの理由が、”今までにないものを作る”だったこともあり、亀田誠治さんがそんな否定的な言葉の盾になり、椎名林檎さんの個性を守ったそうです。
こんなこともあり、椎名林檎さんは、亀田誠治さんのことを「師匠」と呼び信頼していきます。そして、見事、椎名林檎さんの1999年2月にリリースした1stアルバム「無罪モラトリアム」と、2stアルバム「勝訴ストリップ」がミリオンセラーとなります。
【ちょうど20年前】2000/3/31
椎名林檎
アルバム「勝訴ストリップ」発売
1位 / 233.2万枚
「本能」「ギブス」「罪と罰」を収録し爆発的ヒットとなった作品。
シンメトリーの収録曲配置、55分55秒の収録時間等こだわりを見せた。
今年、バンド・東京事変のフロントマンとしての活動を再生している。 pic.twitter.com/EUZVjVaXMC— オトガメ ~音甕~ (@OtoGame2016) March 30, 2020
このアルバムのミリオンセラーの影響で、アレンジャーとベーシストとして亀田誠治さんの名前も音楽業界で知られ、スピッツや平井堅、スガシカオなどのプロデュースを依頼されるようになりました。
東京事変ベースがすごい!
亀田誠治さんのベースのすごさを語るなら、外せない曲が、2007年にリリースした4thシングル「OSCA」です。この曲は、ギターの浮雲さんが作詞作曲をしていて、だらしない男について歌っています。
かっこいいベースの音が印象的なイントロ部分は、本来はギターが弾いていましたが、浮雲さんが「亀田さん、ちょっとやってみてよ」と言われ、気軽に「はいはーい」と弾いてみたら採用され、実際弾くと大変だというエピソードもあるようです。
他にも、スウィングジャズの要素を盛り込んだ楽曲「女の子は誰でも」では、ジャズで多用されるウォーキングベースで演奏しています。
ベースもすごいのですが、このMVでのメンバーのダンスも見どころで、特に亀田誠治さんのダンスは必見です。
まとめ
椎名林檎さんと亀田誠治さんについて調べました。2人の出会いや、師匠と弟子の関係、東京事変の楽曲のベースがすごいことなどご紹介しました。