チェッカーズ

チェッカーズメンバーの現在と名前は?クロベエ死去原因や解散理由と確執がヤバい!

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チェッカーズといえば、1980年に福岡県久留米市にて結成され、1990年代前半にかけて一世を風靡した7人からなるポップスバンドです。当時はその楽曲はもちろんファッションも注目されました。

今回は、1992年に解散したチェッカーズメンバーの現在やクロベエ死去原因や解散理由と確執について調査していきたいと思います。

 

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解散したチェッカーズメンバーの現在

藤井郁弥(ふじい ふみや)

当時リードボーカル担当、愛称は「フミヤ」名実ともチェッカーズの顔でした。

解散後は芸名を「藤井フミヤ」に変えられ、ソロ活動にて「TRUE LOVE」や「Another Orion」の大ヒットを飛ばします。また弟の藤井尚之さんとのユニット・F-BLOODとしても活躍されています。

 

 

武内享(たけうち とおる)

当時、チェッカーズのリーダーでギター担当、愛称は「トオル」

解散後は、武田真治やCHEMISTRY のサポートなどを務められています。また2003年にはチェッカーズの楽器陣・藤井尚之、大土井裕二、徳永善也とアブラーズを再結成されています。その他に他のアーティストのプロデュース業もされています。

高杢禎彦(たかもく よしひこ)

当時、サイドボーカル(低音パート)担当、愛称は「モク」

解散後は、ソロ活動や俳優・タレント活動をされていましたが、2002年に胃がんを患い8時間にも及ぶ手術を行い成功されます。

その後は2003年に自らががんを患っていたことや、チェッカーズ時代の暴露話を書いたエッセイ「チェッカーズ」や「ガンが教えてくれた大切なもの」を発表されます。また音楽活動やタレント活動も復帰され、ガンについての講演も行われています。

大土井裕二(おおどい ゆうじ)

当時、サブリーダーでベース担当、愛称は「ユウジ」

解散後は、ソロ活動・俳優業・音楽プロデュースなどで活躍されています。所属するバンドもアブラーズ、SEAMUS、FADPE、POUSE CAFE、The Rolling Tigersなど多岐にわたります。

鶴久政治(つるく まさはる)

当時、サイドボーカル(高音パート)担当、愛称は「マサハル」

解散後は、ソロ活動、音楽プロデュース、俳優、タレントとして活躍されています。

徳永善也(とくなが よしや)

当時、ドラムス担当、愛称は「クロベエ」

解散後は、1995年から「リトルバッハ」と言うバンドを結成し自らリーダーとなります。しかし人気が上がらず1998年に解散、一時芸能活動を全て停止し大型トラックの運転手をして生活していた時もありました。

その後は、鶴久政治さんのレコーディングやライブにドラマーとして参加され、2002年には親交のある隈富太郎が率いるバンド「WILD-G」に加入されます。2003年には元チェッカーズの楽器演奏陣からなる音楽バンド「アブラーズ」にも参加され精力的に音楽活動をされていました。

しかし舌がんを患い入退院を繰り返しましたが、2004年8月17日死去されます。享年40歳でした。

藤井尚之(ふじい なおゆき)

当時、サックス担当、愛称は「ナオユキ」

解散後は、ソロ活動としてサックスのインストゥルメンタルアルバムを発表されたり、兄の藤井フミヤさんとユニット「F-BLOOD」を結成され活躍されています。

 

 

チェッカーズ解散理由と確執がヤバい!

チェッカーズは1992年の紅白歌合戦の出場をもって解散をされるのですが、その解散理由は複数あると言われています。

①メンバーのソロ活動意欲が高まった。

1987年に発売したアルバム「GO」の頃からメンバーの中でソロ活動を始める動きが始まります。藤井尚之さんのソロデビューを皮切りに、高杢禎彦さんや鶴久政治さんもソロ活動を開始されます。これが解散にいたる遠因であったことは間違いないと思います。

②メンバーの結婚ラッシュ

次に1990年に結婚を発表した藤井郁弥さんを皮切りに、それ以降4人のメンバーが続々と結婚を発表されます。特に藤井郁弥さんの結婚には女性ファンにはショックだったようで、アイドル的人気を誇っていたチェッカーズにとっては痛手だったようです。

③そしてメンバー間の確執

最後に決定的だったと言われるのが、メンバー間特に藤井郁弥さんと高杢禎彦さんの確執だと言われています。高杢禎彦さんの暴露本的エッセイ「チェッカーズ」には金銭的問題や藤井郁弥さんが「チェッカーズを脱退したい」とリーダーである武内享さんに相談したことなどが書かれています。

高杢禎彦さんは、「解散をしたら、誰もメシを食っていけない」とチェッカーズ存続を望んだようですが、結局押し切られるように解散となり、藤井郁弥さん・藤井尚之さん・武内享さん・大土井裕二さんの「解散派」と高杢禎彦さん・鶴久政治さん・徳永善也さんの「存続派」に別れてしまい、断絶という事になってしまいます。

この断絶が如実に分かったのが、メンバーであった徳永善也さんが舌がんにより死去された際の、藤井フミヤさんが提案した「お別れの会」に高杢禎彦さんと鶴久政治さんが出席を拒否したことでした。

まとめ

今回は、1992年に解散したチェッカーズメンバーの現在やクロベエ死去原因や解散理由と確執について調査しました。

今回お伝えしたメンバー間の確執により、ファンが望むチェッカーズ再結成(たとえ1日限定でも)は不可能な事態となっています。昔の幼馴染同士どうして腹を割って話せないのでしょうか?残念です。

今回もお読み頂きありがとうございました。

 

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