皆さんは「渋谷系」という言葉をご存じでしょうか?
1990年代に東京都の渋谷(渋谷区宇田川町界隈)を発信地として流行した日本のポピュラー音楽(J-POP)のジャンル、ムーブメントです。
この「渋谷系」の王子様と呼ばれたのが小沢健二(おざわ けんじ)さんです。

今回は、小沢健二(おざわ けんじ)さんのプロフィールや家族・芸能界の交友について調査していきたいと思います。
目次
小沢健二(おざわ けんじ)のwikiプロフィール・年齢・出身・身長・所属事務所など
それでは、小沢健二(おざわ けんじ)さんの基本データを紹介していきましょう。

小沢健二(おざわ けんじ)のプロフィール
生年月日 : 1968年4月14日(52歳)
出身地 : 神奈川県相模原市
身長 : 175cm(公称:中居正広さんとの対談より)
血液型 : O型
職業 : シンガーソングライター・ミュージシャン・作詞家・作曲家・作詩家・朗読家
活動期間 : 1987年~
所属事務所 : ドアノックミュージック
レーベル : Virgin Music / Universal Music
小沢健二(おざわ けんじ)の経歴
小さい頃から音楽や文学に熱中し、特に当時放送されていた歌番組「ザ・ベストテン」は下位20位までチェックする熱の入れようでした。
中学時代に後のフリッパーズギターのメンバーとなる小山田圭吾さんと出会います。大学在学中からアマチュアバンド「ロリポップ・ソニック」で活動され、1989年にプロデビューを果たすと同時に「フリッパーズ・ギター」と改名されます。人気はあったのですが、オリジナルアルバム3枚といくつかの再編集盤を残して1991年に解散してしまいます。このころから渋谷系と評されるようになります。
その後はソロ活動を開始され、1993年7月21日にシングル「天気読み」でデビュー。9月29日にアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」をリリースされます。人気は凄まじく「渋谷系の王子様」と呼ばれるようになります。また1995年と1996年には連続して「NHK紅白歌合戦」にも出場されています。
人気絶頂でしたが、1998年にシングル「春にして君を想う」をリリース後しばらく活動を休止され、2002年に一時復活されますがまた休止され事実上引退状態となります。その間はアメリカを生活の拠点に南米などで環境問題に基づくフィールドワークを行っておられました。
2012年からはライブから音楽活動を再開され、2017年には新曲「流動体について」を発売されます。2019年には前作より13年ぶりとなるアルバム「So kakkoii 宇宙」をリリースされています。
小沢健二の父親や母親の顔画像は?
小沢健二さんの両親は、有名な学者さんのようです。
父親は、ドイツ文学者の小澤俊夫さんです。旧満州出身。小さい頃に火傷を負い、それが原因でいじめを受けられたそうです。ドイツのメルヒェンと呼ばれる口承伝承による昔話の研究が特に専門で、文学研究から民俗学にまたがる分野で幅広い研究を行っておられます。

母親は、心理学者の小沢牧子(旧姓・下河辺)さんです。専門分野は、臨床心理学論、子ども・学校論で、不登校問題について「登校拒否を病気と考えるな」と論じられるなど子供の心理について研究されています。

小沢健二とタモリの関係は?
小沢健二さんは、2014年3月20日に「森田一義アワー 笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」ゲストとして出演されています。このテレビ出演は実に16年ぶりのことでした。
この出演のきっかけはタモリさんが小沢の歌詞を高く評価し、小沢もタモリを慕っていることからでした。関係者は「小沢さんはタモリさんと気になっていることの目のつけどころが一緒らしいんですよ。だから相性が合うっておっしゃってましたね。タモリさんが語る『さよならなんて云えないよ』の歌詞の解釈からもそれがわかりますよね」と発言しているので、よほど気が合ったんでしょうね。
小沢健二と深津絵里の関係は?
小沢健二さんは、数々の芸能人と浮名を流したことは有名ですが、その中の1人に女優の深津絵里さんがおられます。

2人の熱愛は1995年頃に報じられ小沢健二さんが深津絵里さんを「子猫ちゃん」と呼んでいたという噂もありました。また代表曲「ラブリー」は、深津絵里を想って書いた曲だとも言われています。
この熱愛も長くは続かず、現在はネプチューン名倉潤さんの妻となっている元おニャン子クラブのアイドル渡辺満里奈さんとも熱愛があったようですが、1998年にアメリカに活動拠点を移した後、アメリカ人の奥さんと結婚され現在は2人の子供のパパになっておられます。
まとめ
今回は、小沢健二(おざわ けんじ)さんのプロフィールや家族・芸能界の交友について調査しました。
筆者が、最初にフリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」を聴いた時、衝撃が走ったことを昨日のように思い出します。今でも十分通用する名曲だと思います。
今回もお読み頂きありがとうございました。