ロックバンド・X JAPANのメンバーであるToshlとYOSHIKIについて調べました。

ToshlとYOSHIKIはできてる?共依存や確執や不仲説について調査しましたので、ご紹介します。
ToshlとYOSHIKIはできてる?
2人の出会い

ToshlとYOSHIKIは、なんと幼稚園の頃からの幼馴染で、千葉にある北条幼稚園「すみれ組」で育った仲だそうです。「すみれ組」出身というのはファンの間で有名な話。ToshlとYOSHIKIのツーショットのことをファンの間では「すみれ組」と呼んでいるとか。
https://twitter.com/Yoshiki_with_me/status/1003599906345324546
バンド結成
そこから小学校も中学も2人は一緒で、なんと、高校も一緒。

小学校高学年には、ハードロックバンド・KISSを聴き、小学6年生でバンドを結成。YOSHIKIの父がジャズピアノをやっていたこともあり、YOSHIKIは4歳からピアノを習い、9歳で作曲していたそうです。10歳からはブラスバンドでトランペットを担当していました。
この頃、KISSの日本武道館公演を観に行きドラムを始め、小学6年生のバンドではドラム・ボーカルを担当。Toshlはギターでした。
中学に入り、同級生をボーカルにし、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどコピーバンドを結成。もちろんToshlも加入していて当初の担当はギターでしたが、生徒増加に伴う分割によりボーカルが別の中学に編入したためToshlがボーカルに。
その後、一緒の高校に進学しバンドを続けていましたが、ToshlとYOSHIKI以外のメンバーが大学受験のため脱退。他校からメンバーを加えて1982年、高校2年生の時に「X」を結成しました。

2人で上京
高校卒業後、地元の千葉から2人で上京し、1985年6月にインディーズシングル「I’LL KILL YOU」をリリース。当時、ストイックなYOSHIKIの練習する姿に付いていけないということが原因で、脱退するメンバーが多く、メンバーは流動的だったそうです。
1986年に、Xのレコードをリリースするため、レコード会社「エクスタシーレコード」を設立。良い曲を作っても聞いてもらわないとと考え、当時人気だったバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のヘビメタコーナーに出演し、知名度を上げていきます。
XJAPANがXだった頃に出演した「元気が出るテレビ」
やしろ食堂でオルガスムを演奏!
インディーズの頃でHIDE加入直後です。#XJAPAN#YOSHIKi#Toshl#HIDE pic.twitter.com/BdfdMCdLqo— MAG★話題のニュース (@kusa11621891) May 4, 2020
1988年にリリースした1stアルバム「Vanishing Vision」がオリコン週間チャートで最高19位を記録。1989年4月に「X(エックス)」としてアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビューし大ヒットとなりました。
共依存や確執や不仲説
確執や不仲説
1989年に大ブレイクとなった「X」は、音楽番組等に積極的に出演し、そのビジュアル系バンドの姿でインパクトを与えます。1990年には日本武道館でライブを、その後東京ドームでライブを開催し人気ロックバンドとなっていきます。
1992年にToshlはバンド活動を一時休止しソロデビュー。その後、バンド活動のスケジュールの都合がつかなくなっていき、YOSHIKIは不信感を募らせていきます。またこの頃には、レコード会社との契約切れ、YOSHIKIの持病の頚椎椎間板ヘルニアの再発によるツアー中止などありました。
1997年4月にToshlが脱退を表明。後任のボーカルがいないということでバンドは解散します。そして、9月にToshl以外のメンバー4人で解散会見を開きました。
記者会見を見ても分るように、Toshlは脱退する理由を音楽性・方向性の違いとだけ伝えられ、それ以上のことをYOSHIKIは聞かなかったようですね。
しかし、この頃、Toshlはヒーリング系音楽に惹かれ、脱退後には「Toshlは洗脳された」と報道されるほど変っていきました。
しかもToshlは、この解散会見のことを知らされていなかったと話したそうで、YOSHIKIはマネージャー経由で話していたはずなのにと、確執が生まれていったようです。
その後もYOSHIKIがNHKの番組にゲスト出演した際に、「Toshlの声を道具のように扱っていた」などと発言したとされています。(Toshlはテレビ見てないから知らなかったらしい)
共依存
幼稚園からずーっと一緒で仲の良い姿を「すみれ組」と呼ばれたり、小・中・高校でも一緒にバンドを組み、さらに一緒に上京した2人は、YOSHIKIの「Toshlの声を道具のように扱う」発言や、Toshlが脱退したことでバンドを解散するということなどから共依存(お互い過剰に依存している関係)していると言われているようです。
1997年9月の解散会見のYOSHIKIのサングラスをしているので表情は分りませんが、「彼の声をレコーディングする状況に耐えられなくなって」と言っているYOSHIKIが、とても悲しそうなのが印象的です。
まとめ
ToshlとYOSHIKIについて調べました。ToshlとYOSHIKIが幼稚園からの幼馴染みだったことや2人が仲良くしているツーショットを「すみれ組」とファンに呼ばれていること、共依存や確執や不仲説について調査しご紹介しました。


