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DOZAN11は元三木道三!病気で引退!復帰からソフトウェア開発まで!

2020年9月21日(月)19時よりTBSテレビで放送される「CDTVライブ!ライブ!」に、DOZAN11(ドーザンイレブン)が出演します。

そこで、DOZAN11について調査しました。DOZAN11は元三木道三!病気で引退!ソフトウェア開発から復帰までご紹介します。

DOZAN11は元三木道三!

DOZAN11の旧名は”三木道三”です。

本名:三木 真一(みき しんいち)
年齢:1970年2月12日生まれ 現在50歳
出身地:奈良県生駒市
出身校:京都産業大学外国語学部英米語学科卒業

1992年頃から音楽活動を始め、1995年にジャマイカの日本人レーベル「Jap Jam International」から「Japan一番」でデビューしました。

その後、Mixin’1というプライベートレーベルを設立し、1998年に全国ツアーを開催。翌年にはレーベル・大和RECORDINGSを設立しました。2000年にメジャー・デビューし、翌2001年5月にリリースしたシングル「Lifetime Respect」が約90万枚売り上げ、ミリオンセラーとなりました。

”一生一緒にいてくれや~”というフレーズが大人気となりました。

https://twitter.com/hurahura_game/status/1305444443072458752

病気で引退!

「Lifetime Respect」が大ブレイクし、2002年に47都道府県ツアーを開催しましたが、突然活動を休止。当時、死亡説まで浮上しました。

この時には語られていませんでしたが、活動休止の理由は身体の不調によるものです。その身体の不調というのが、1995年に友人と3人でジャマイカに行く途中に、アメリカでロサンゼルスからラスベガスへ向かう際、道路に出てきたコヨーテを避けようとハンドルを切ったことで車が横転し、助手席に乗っていた三木道三はフロントガラスを突き破り30メートルほど外へ飛ばされたそうです。

その時、顔の骨と歯が飛び出し、右ひざが割れたそうで、右ひざにボルトを入れたり顔の骨に腰骨を移植する手術をしました。その時、医者に8割は死んでいる事故だったと言われ、人生はいつ終わるかわからないと、音楽活動のスピードを上げていたそうです。

そして、その時の後遺症で身体の調子が悪くなり活動休止することとなります。活動休止中は、他のミュージシャンの作詞、作曲、プロデュースを手掛けています。

この頃、DozanやInspyaなどの名義で、MOOMIN、BES、MUNEHIRO(鈴木紗理奈)、RED SPIDER、SPICY CHOCOLATE、MINMIなどの作品で作詞や作曲、プロデュースしています。

しかし、自律神経の不調により、2008年に音楽を引退し、その後、2年間の寝たきり生活を送っていたそうです。2009年6月に一般人女性と結婚したようですが、現在は離婚しています。

復帰!

2014年、三木道三から”DOZAN11”に改名し復帰しました。同年11月にアルバム「Japan be Irie!!」をリリースし、翌年からライブを開催。

2019年7月には、5年ぶりとなる「新しい未来」を配信リリースしました。

ソフトウェア開発とは?

そんなDOZAN11は、2018年2月に音楽ソフト「PhotoMusic 2」を開発しました。みんなが音楽を作れたり演奏出来たりもっと楽しめるためにソフト開発を始めたそうです。

このソフトウェアは”画像から音楽を作る”という斬新なもので、DOZAN11は音楽プロデューサーとして携わっています。さらに、解説ビデオに出演し注目されました。

まとめ

レゲエアーティスト・DOZAN11について調査しました。DOZAN11は、2001年に「Lifetime Respect」が大ヒットした三木道三だったこと、大ヒット後、身体の不調により活動休止し、のちに引退したこと。さらに2014年に復帰し、2018年2月にはソフトウェア開発までしていたことなどご紹介しました。

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