Michael Kaneko(マイケル カネコ)

MichaelKaneko(マイケルカネコ)はハーフ?父親や兄を調査!経歴も

2020年10月10日(土)22時45分からNHK総合で放送されるシブヤノオトのスペシャル番組「シブヤノオト and more FES.2020」に、Michael Kaneko(マイケル カネコ)さんが出演します。

そこで、Michael Kanekoさんについて調査しました。Michael Kanekoはハーフ?父親や兄を調査!経歴もご紹介します。

Michael Kanekoはハーフ?

まずは、Michael Kaneko(マイケル カネコ)さんのプロフィールからご紹介します。

Michael Kanekoさんは、湘南育ちの日本人でハーフではありません。4歳の時に”アメリカの教育を受けさせたい”という両親の教育方針のためアメリカ・カリフォルニアに移り住み、15歳の時に帰国しました。

Michael Kanekoさんの苗字は、もちろん”金子”さんですが、マイケルは自分で名付けたそうです。理由は周りの子達と名前の響きが違ったから、「僕も外国人になりたい!」と思って、マイケルジョーダンが好きだったため、”マイケル”としたようです。(現在、本名は公表していません)

ただ、アメリカでは”マイケル”が多かったので、結局「カネコ」と呼ばれていたそうです。

4歳からカリフォルニアに住み始めたマイケル少年は、サッカーに夢中になり、アメリカ代表になる手前までの腕前だったそうです。14歳の時に兄のアコースティックギターを初めて触り、15歳で帰国。カリフォルニアでは日本人学校にも通っていなかったため、日本語が分らずカルチャーショックを受けたそうです。そこで、母親がギター教室に通わせてくれて、エレキギターを習い始めました。

経歴

マイケルカネコさんは、1991年生まれで今年で29歳になります。中学3年で帰国し、高校は横浜のインターナショナルスクールに通い、バンドで洋楽のカバーなどをやっていました。

大学生になったら、バンドメンバーは海外の大学に行ってしまい、マイケルカネコさんひとりになってしまったので、アコギを弾きながら歌い始めました。

2015年にTOYOTAのCM曲を歌い注目を浴びます。

この後、Panasonic、NISSAN、IKEA、ZIPLOC、ブローネなど数々のCMに起用されました。J-WAVEのジングルにシンガーとしても参加し、2016年にはサマーソニックに出演し、翌年はフジロックに出演。

また、「テラスハウス BOYS & GIRLS IN THE CITY」の最終話ラストシーンにも楽曲が起用されました。この楽曲は、大学時代に自宅で制作したデモ音源集の収録曲「Come And Go (Demo)」です。

映画「とんかつDJアゲ太郎」のサウンドトラック「Blue Fever」も担当しています。

父親を調査!

マイケルカネコさんの父親は、Duke Kaneko(デュークカネコ)さんで海峡横断したパドラーです。

パドラーとはパドルで水を掻き、前進する舟を操るスポーツの愛好家です。
父親のデュークカネコさんの写真を見たら、やっぱりマイケルカネコさんはハーフなんじゃないか?と思った人もいるのではないでしょうか。そこでデュークカネコさんのプロフィールをご紹介します。(上の写真は2009年のものです)
【Duke Kaneko(デュークカネコ)のプロフィール】
本名:金子 謙三
年齢:1963年4月9日生まれ 現在57歳
出身地:長崎県

デュークカネコさんは、19歳の時、アメリカに憧れ渡米しカヌーと出会いました。

マイケルカネコさんが15歳の時(2006年)に帰国し、神奈川県の葉山にオーシャンアウトリガーカヌークラブを設立し、八丈島から葉山までなど日々航海を続けているそうです。

最近のデュークカネコさんの姿を発見しました。2009年に写真と変らないですね。

兄を調査!

マイケルカネコさんの兄は、2017年の全日本SUP選手権で優勝した日本チャンピオンの金子ケニーさんです。現在はプロSUP選手です。

SUP(サップ)とはボードの上に立って、パドルを漕ぐStand Up Paddleboard(スタンド・アップ・パドルボード)の略語です。

兄のケニーさんは、8歳の時にカリフォルニアに移住し、マイケルさん同様にサッカーに夢中になり、アンダー15アメリカ代表になっていました。17歳で帰国し、東京ベルディユースでプレイしていましたが、膝の怪我でサッカーをあきらめ、父の影響からアウトリガーカヌーを始め、2013年からSUPを本格的に始めました。

まとめ

Michael Kaneko(マイケルカネコ)さんについて調査しました。Michael Kanekoさんは日本人で、マイケルは、アメリカで住んでいた時に外国人になりたくて自分で名付けていました。

父親のデュークカネコさんはパドラーとして活動していることや兄はプロSUP選手などご紹介しました。