2020年10月31日から11月28日までの毎週土曜日に5週連続で、B’zが自身初の無観客配信ライブ「B’z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5」を開催します。
そこで、B’zについて調査しました。B’zの結成のきっかけや結成秘話を調査!ブレイクはいつなのかご紹介します。
B’zの結成のきっかけ
B’zは、通常のバンドと違って2人組で、松本孝弘さんと稲葉浩志さんの年齢の出身地も違って、結成のきっかけは何だったのだろうと、ネットで調査すると、ウィキペディアや、その他、B’zファンが結成のきっかけをサイトやブログに細かく説明していました。
出会い
松本孝弘さんは、東京・渋谷にある音楽の専門学校を中退し、音楽制作会社・ビーイングに所属し、プロのギタリストとして活動を開始しました。1983年の松本孝弘さんが22歳の頃には活動をしていたそうです。
ギタリストとして活動している中で、自分のバンドを結成しようと考えていた松本孝弘さんは、あるボーカリストとバンドを組むことを音楽雑誌に公表しましたが、デビューとはなりませんでした。
そんな中、ビーイングの音楽学校に所属していた稲葉浩志さんをデビューさせたいと考えていたビーイング創設者の長戸大幸さんが、松本さんにデモテープを渡し、録音スタジオにて2人でセッションしました。当時、松本孝弘さん27歳、稲葉浩志さん23歳でした。

結成秘話を調査!
【デモテープで決まっていた】
ビーイング創設者の長戸さんから稲葉さんのデモテープを聴き、稲葉さんの顔写真を見た松本さんは、その歌声とルックスは文句なしということで、会う前から心は決まっていたそうです。ただ、残すは性格が気がかりだったようで「いい人であって欲しい」と願っていました。
【録音スタジオでのセッション】
録音スタジオで稲葉さんに会った松本さんは、稲葉さんのことを「いい人」と思う前に、「大人しそうだな」と思ったそうです。
そして、セッションを始め、2曲目でアンプが壊れたことでセッションは終了します。セッションした楽曲はビートルズの「Let It Be」と「Oh! Darling」だったそうで、なぜビートルズだったのかなどは語られていませんが、後のライブで「Let It Be」や「Oh! Darling」を披露していて、ファンには貴重なB’zの初めてのセッション曲となっています。
【バンドをやろうと言われていない】
そんな2曲を合わせただけの顔合わせが終わり、後日再び会った時にはデビューへ向けて動き始めていたようで、稲葉さんは、松本さんに「バンドをやろう」とハッキリと言われていないと語っています。
しかも、松本さんと稲葉さんがセッションしたのが5月19日で、結成日が5月20日ということで、知り合って1日でB’zが誕生しています。
ブレイクはいつなの?
デビュー
B’zがデビューしたのは、出会ってから約4ヵ月後の1988年9月21日。シングル「だからその手を離して」とアルバム「B’z」を同時リリースとなりました。
しかし、当時はほとんど無名で、オリコン集計でカウントされないほど売れませんでした。アルバムリリース3枚目までにブレイクさせようと動き、松本さんは、アルバムを少なくとも2枚リリースするまではツアーしないと決めたりと、売れなければ意味がないという考えでした。
そして、3枚目のアルバムの前の1989年10月にリリースした1stミニ・アルバム「BAD COMMUNICATION」がミリオンヒット。この楽曲は、富士通「FM TOWNS」のCMソング起用され認知度が上がりました。
CMソング起用の理由は、この楽曲をレコーディングしていた隣のスタジオでCM制作が行われていて、煮詰まっていたCM制作側が松本さんを呼んだことで、楽曲を提供したそうです。
CMに出演していた宮沢りえさんは、当時16歳で、フジテレビのドラマ初主演を務めたり、小室哲哉さんの楽曲提供で歌手デビューしたりと大人気でした。
富士通 FM TOWNS CM。(1989)宮沢りえ(『BAD COMMUNICATION』B'z)@retoro_mode pic.twitter.com/BWF8yZkyiQ
— minipops (@minipops5) July 21, 2020
まとめ
B’zの結成について調査しました。B’zの結成は、ビーイング創設者の長戸さんが、バンドメンバーを探していた松本孝弘さんに、稲葉浩志さんのデモテープを聴かせ顔写真を見せ、「いい人なら」と会ってセッションしたことがきっかけでした。
また、アルバム3枚目までにブレイクするようにと動き、その3枚目のアルバムの前にリリースしたミニ・アルバム「BAD COMMUNICATION」がブレイクしたことなどご紹介しました。